明日のホワイトベース予習号!!! ジャムの小山田さんについて★

はるかの予習

2019.02.21

明日は毎月お待ちかねのホワイトベースです!

今月のゲストはクリエイティブエージェンシーJAMの小山田宗玄さん!

 

「なんかすごい人」でもよく知らないの!!!という方へ❤️

ご本人にインタビューしてきました。

 

 

名前:小山田宗玄(おやまだむねはる)

会社:クリエイティブエージェンシーJAM(http://www.jam-cf.com/

   株式会社九州空撮隊(http://tak-inc.com/

肩書:CD(クリエイティブディレクター)

生年月日:1972年11月29日(46)

ニックネーム:だまだま、だま、だまさん、だまちゃん

 

20代の頃の小山田さんって・・・?

経歴が、、ここに書ききれないほど濃密❤️なので

今回はホワイトベースの参加者層の中心である

20代までをご紹介します〜〜

 

小学生の頃、漫画家になりたいと思う

ただ、その夢が「トンデモナイ」ことを小学4〜5年生で認識。

当時担任だった先生に

「絵をちゃんと学んだ方がいい」という言葉をかけられ

「広告」は意識してはいないが、デザインの道を志す。

 

「広告」を意識し始めたのは専門学校の就活

大阪の専門学校へ進学。

当時バブルが弾けた直後で就職氷河期。

家庭の事情もあり、熊本へ戻る。

 

求人票に書いてある「アド〇〇」をみて

「アドってなんや。グループ会社?」と思っていたそう。

(なんか安心しました(笑))

 

熊本の電通の下請け会社に入社。

アド〇〇〇〇に入社。

当時はリーダーとしてクライアントを一人で担当するまでに。

 

入社当時デザインは、版下はアナログ(手貼り)でデザインしていた。

3年目でMacが登場した。

これは大きなパラダイムシフトだったそうです。

 

 

 

業界のパラダイムシフトが起こったことで!?

それまで先輩だった存在に

Macの使い方を教える様に。

それまでデザイナーは独立してやれる仕事ではなかった。

(機材とかすごくお金がかかったんだって〜〜)

 

 

3年勤務し、独立。当時24歳。

トリガーは色々あったそうです。

色々あって、独立したそうです。うん、色々。

 

 

1997年有限会社ジャムクリエイターファクトリー創設。

 

 

2009年株式会社ジャムへ社名変更

20代の頃、なりたい自分像ってありました?

当時お世話になった

クリエイティブディレクターの身のこなしが印象的だったそう。

 

イラストも描く、CMのプランも立てれる、

デザインもアートディレクションもできる方がいらっしゃったそう。

 

「もともとは何の人なの?

何でもさすよね…あの人!?」

 

と思っていて、当時自分のなりたい像がバシーーっと決まったそう。

なんでもできる、あの人は一体何なんだ・・・!?

と周りの人から思われる人になりたいと思ったそうです。

 

 

「デザイナーはバカだけん企画書けんもんね」

21歳の時のお話し。

(小山田さんトンガリまくってた)

 

超売れっ子なコピーライターさんに

飲みの席で、

 

「デザイナーはバカだけん、

企画書とか書けんもんね。

クリエイティブでCDになるのはコピーライターじゃないとだめやもんね」

 

と言われて、

ブチ切れ、喧嘩になったそうです。

 

それがめちゃめちゃ悔しくって

 

「企画書が書けるCD(クリエイティブディレクター)に、俺はなる!!!!!!」

 

と決意したそうです。

誰にだって、悔しいあの経験があったから頑張れた。

みたいな出来事てあるんですね。

 

 

と、、いうか、、、

ここまで書いておいてとても恥ずかしいのですが、

そもそも、CDてなに?

クリエイティブディレクターの定義とは?

 

 

 

はてな~~

 

 

 

 

とりあえず、ググろう!

 

 

ピンと、、、こない、、、、

アートディレクターと何が違うと!?

どうやったらなれるの!?

満たすべき基準があるの??

具体的にどんな役回りをするの??

(はてながいっぱいだ。。。)

 

 

てことで今回のテーマは

 

クリエイティブディレクター(CD)てなに!?

 

です。

 

小山田さんの企画書もみれます〜必見★

 

佐々木 悠

天草市牛深町出身。漁師の娘として育ったせいか、気は短め。背は低め、足は大きめ、根はまじめ。天草の海と旨い魚をこよなく愛す26歳。いま、地域を楽しくする仕事に夢中です。

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