*前回までのおはなし
前回は家のコーヒーメーカーをくさらせたという誰も幸せにならない話を書きさらし、どうやら恥辱プレイにはまりつつある私(ライター福永)が…あれれ、今回は意外とシリアス路線?
え? 早速軸ぶれてません? う〜ん、それはあれだ、夏のせい!(SDP)
(第2回)
嫌いじゃない
ずっと子どもが嫌いだった。
苦手なものはなにかと聞かれれば
「えーっと、犬と子供と老人ですね」と話してきた。
小さな頃からわりとずっとだ。
すんごいドライにさっくり話すから、たまに(けっこう)嫌な顔をされた。
散歩をしている犬を見て
「いやあ、かしこいワンちゃんですね」と声をかけたこともなければ、
市電に乗って目があった小さな子どもに対して
「あらあ、かわいいですね」とニッコリほほ笑みかけることができなかった。
なんというか、ナチュラルになれなかった。
そう、なんだかずっとアンナチュラル!(続編ないかな!)
大学時代の親友が産んだ子どもを初抱っこ。
く、首まがっとるやんけ。衝撃の写真はまたたく間にFB上をかけまわった。
彼女との歩みをおとどけします。
結婚して8年目を迎えるが、私たち夫婦には子どもがいない。
つくらない、授からない、もうあきらめる?
言葉が浮かんでは消え、消えては浮かぶ8年だった。
だってわたしは、好きなときに旅行に行きたい。可能な限り遠くに。
思い立ったときに居酒屋で飲みたい。たとえば平日の夜とかに。
早朝ロケも残業もいとわず駆け回りたい。時にはね。
いつまでも社会と濃厚に絡み合っていたい。
でもたまには(しょっちゅうでもいいけど)、朝から晩までほぼ裸みたいな格好で、ベッドでチョコパイ食べてたい。
うむ? はたらく? 誰にあずける?
わたしを産んでくれたひとはとっくに虹の橋を渡ってしまった。
残されたわたしは未だに母になる勇気をもてないまま、“ぬるま湯”みたいな気持ちいいところに、ポツーン…と浸かったままなのだ。
「お子さんはいらっしゃるの?」
「あ、ウチいないんですよ」
「(すこしの沈黙のあと)そう、いろんな人生があるからね」
「あ、はい」
「いないの?」とか、
「つくらないの?」とか、
「なぜ?」と聞いてくる人は意外とすくなかったりする。
私のまわりにいるやさしい人たちは、いつだって、そういう「選択」をしたのだと察してくれた。
大学時代の親友が産んだ子ども(2歳になりました)を抱っこ。
これ子どもの顔なん?
数年前から「母性」について考えてきた。
母性ってなんだ。
女らしさってなんだ。
母になったら皆に母性がうまれるのか。
それが普通なのか。じゃあ普通ってなんだ。
どうして考え出すと身体が熱くなるんだろう。
ところが今年の夏はちょいと様子がちがった。
人生で一番、まみれまくっているのだ、子どもに。
撮影に行った保育園の子どもたちに「ママ」と呼ばれた。
(わたし産んだっけ?)
成長した親友の子どもと川遊びに行った。
(雪解けの瞬間をみた)
仕事仲間の子どもに、ふいにぎゅっと抱きつかれた。
(や、やめてよ…)
大学時代の親友が産んだ子ども(来年小学生です)といっしょに川遊び。何これ、ふつうに会話できてるやん。
知り合いのカメラマン女史に言わせると、「あんた子どもを子ども扱いせず、対等に話すから喜ばれるんじゃ」。
えっそうだったの。それ、好物なの。
「でもそれはあれだろ、気のせいだろ、夏のせいだろ…」
往年の夏の名曲の、あのフレーズを借りてふざけようと思った、気付かないふりをしてようと思った、どうせなら知らんぷりをしてようと思ったけど、
嫌いじゃないのかもしれない。
そんな平成最後の夏。
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