嫌いじゃない

猫のちくび

2018.08.03

*前回までのおはなし
前回は家のコーヒーメーカーをくさらせたという誰も幸せにならない話を書きさらし、どうやら恥辱プレイにはまりつつある私(ライター福永)が…あれれ、今回は意外とシリアス路線?

え? 早速軸ぶれてません? う〜ん、それはあれだ、夏のせい!(SDP)

 

 

(第2回)

嫌いじゃない

 

 

ずっと子どもが嫌いだった。

苦手なものはなにかと聞かれれば

「えーっと、犬と子供と老人ですね」と話してきた。

小さな頃からわりとずっとだ。

すんごいドライにさっくり話すから、たまに(けっこう)嫌な顔をされた。

 

散歩をしている犬を見て

「いやあ、かしこいワンちゃんですね」と声をかけたこともなければ、
市電に乗って目があった小さな子どもに対して
「あらあ、かわいいですね」とニッコリほほ笑みかけることができなかった。

なんというか、ナチュラルになれなかった。

そう、なんだかずっとアンナチュラル!(続編ないかな!)

 

大学時代の親友が産んだ子どもを初抱っこ。
く、首まがっとるやんけ。衝撃の写真はまたたく間にFB上をかけまわった。
彼女との歩みをおとどけします。

 

 

結婚して8年目を迎えるが、私たち夫婦には子どもがいない。

 

つくらない、授からない、もうあきらめる?

言葉が浮かんでは消え、消えては浮かぶ8年だった。

 

だってわたしは、好きなときに旅行に行きたい。可能な限り遠くに。

思い立ったときに居酒屋で飲みたい。たとえば平日の夜とかに。

早朝ロケも残業もいとわず駆け回りたい。時にはね。

いつまでも社会と濃厚に絡み合っていたい。

でもたまには(しょっちゅうでもいいけど)、朝から晩までほぼ裸みたいな格好で、ベッドでチョコパイ食べてたい。

うむ? はたらく? 誰にあずける?
わたしを産んでくれたひとはとっくに虹の橋を渡ってしまった。

 

残されたわたしは未だに母になる勇気をもてないまま、“ぬるま湯”みたいな気持ちいいところに、ポツーン…と浸かったままなのだ。

 

「お子さんはいらっしゃるの?」
「あ、ウチいないんですよ」
「(すこしの沈黙のあと)そう、いろんな人生があるからね」

「あ、はい」

 

「いないの?」とか、

「つくらないの?」とか、

「なぜ?」と聞いてくる人は意外とすくなかったりする。

私のまわりにいるやさしい人たちは、いつだって、そういう「選択」をしたのだと察してくれた。

 


大学時代の親友が産んだ子ども(2歳になりました)を抱っこ。
これ子どもの顔なん?

 

 

数年前から「母性」について考えてきた。
母性ってなんだ。

女らしさってなんだ。

母になったら皆に母性がうまれるのか。

それが普通なのか。じゃあ普通ってなんだ。

どうして考え出すと身体が熱くなるんだろう。

 

 

ところが今年の夏はちょいと様子がちがった。

人生で一番、まみれまくっているのだ、子どもに。

撮影に行った保育園の子どもたちに「ママ」と呼ばれた。

(わたし産んだっけ?)

成長した親友の子どもと川遊びに行った。

(雪解けの瞬間をみた)
仕事仲間の子どもに、ふいにぎゅっと抱きつかれた。
(や、やめてよ…)

 

大学時代の親友が産んだ子ども(来年小学生です)といっしょに川遊び。何これ、ふつうに会話できてるやん。

 

 

知り合いのカメラマン女史に言わせると、「あんた子どもを子ども扱いせず、対等に話すから喜ばれるんじゃ」。

 

えっそうだったの。それ、好物なの。

「でもそれはあれだろ、気のせいだろ、夏のせいだろ…」

往年の夏の名曲の、あのフレーズを借りてふざけようと思った、気付かないふりをしてようと思った、どうせなら知らんぷりをしてようと思ったけど、

 

嫌いじゃないのかもしれない。

そんな平成最後の夏。

 

 

>猫のちちくび #03 家出のようなものが趣味の34歳女が 「人は愛する人の帰りをどれだけ待つことができるのか」を考えてみた

 

>猫のちちくび #01 コーヒーメーカーをくさらせちゃった 夏の日の2018

 

 

 

福永あずさ

熊本市在住のフリー編集者・ライター。高校まで宮崎暮らし。カメラマンの夫と愛猫と、水前寺の古いアパートでぼんやり暮らしてます。  バーと離島とスナックが個人的なパワスポ。年に2・3回、日本の酒場をめぐるひとり旅に出ます。遊ぶことに関して脅威の集中力を発揮しますが、請求書をすばやく出す、掃除機をきちんとかける、などの生きていく力がほぼ皆無。一年中唐揚げ食べてます。

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